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ルネッサンス盛期に活躍した天才画家、また建築家でもあったラファエッロ(1483−1520)は、ウルビーノで生まれました。
ラファエッロの父親ジョヴァンニ・サンティも時の重要な画家であったといいます。
彼の描いた絵画とフレスコ画の多くがウルビーノのドゥカーレ宮などで鑑賞できます。
ラファエッロは父親の死後1494年にマルケ州を去ってピエトロ・ペルジーノの弟子になる前に、もう1人のウルビーノ出身の画家ティモテオヴィティと一緒に学びます。
これを最後にウルビーノとラファエッロの関係は終わりを告げました。

21歳でラファエッロはフィレンツェに移り住み、ミケランジェロとレオナルド・ダ・ヴィンチに出会います。
2大天才の芸術に触れ、学び、彼らの才能をも吸収して急成長しました。
ラファエッロは師匠ペルジーノの下で学んでいた時もそうでしたが、偉人の優れた技術を全て自分のものにする、という能力に長けた人物だったのです。
またラファエッロには、故郷ウルビーノ出身の先輩“ルネッサンス建築の巨匠ブラマンテ”がいました。
ラファエッロの父親とブラマンテはウルビーノ時代の友人同士。
ラファエッロよりも先にローマで活躍していたブラマンテは、ローマ教皇によってヴァチカン宮殿とサン・ピエトロ寺院改築の総監督に任命されており、ラファエッロはそんなブラマンテの計らいで教皇のために働くことになります。

こうして16世紀にルネッサンスの中心がローマに移った頃、ラファエッロは教皇ユリウス2世の“ローマ復興”という理念の下にヴァチカン宮殿で壁画を描きました。
彼のキャリアと名声はローマで築かれましたが、1520年に37歳という若さでこの世を去ってしまいました。
残念ながらマルケ州にはラファエッロの作品がほとんど残っていません。
ウルビーノには彼の生家が大切に保存され、そこにはラファエッロの早期の作品であるフレスコ画「聖母子像」が残されています。
また、ウルビーノの国立マルケ州美術館に展示されている「貴婦人の肖像画」も非常に有名な傑作のひとつです。
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ラファエッロ

「聖母子像」
ラファエッロの生家
(ウルビーノ)

「貴婦人の肖像」
(通称「黙っている女」)
国立マルケ州美術館
(ウルビーノ)
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